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2005/09/14

言葉

海辺に腰掛けて波の音を聞いていると、
色んな不思議が見えてきます。
例えば、波の音。
どんなに疲れていても、打ち寄せては返す波を
その快いリズムとともに聞いていると、
疲れなんか綺麗さっぱり吹き飛んでしまいます。

「ザザ~、ザブ~ン、サラサラサラ~」

この波の音もこうして言葉にすると簡単明瞭ですが、
実際は、どのように表現しようとしても言葉でもってしては、
正しい表現と言うのは不可能ですネ。

小鳥やカラスのの鳴き声もすべてそうです。
言葉は、人間が便利に生きて行くことが出来るように
自分達の外界を分別して定義付けたものに他なりません。

私達人間には考えると言う知恵がありますね。
だから、私達の文明は栄えてきたことも事実です。
でも、そうであるからこそ、私達は言葉によって、
争いの種をみずからこしらえて来たとも言えるでしょう。
本来、全てが一体であれば、あなたもわたしもありません。
山も川も空も何も区別できません。
もともとひとつのものですから、
争いも起きようがないのですネ。

本来は、周囲のものは何一つとして分けられないものですよネ。
あの青い空、あの白い雲、あの山、あの川、あなた、わたし・・・
まだまだ、言葉の数だけありますよ。
あの、と言った瞬間に分けられてしまうのです。

そう言う風に、本来は分けられないものを無理やり
言葉によって外界を分けてしまった結果、
大事な、宇宙と一体である、と言う感覚を忘れてしまったのです。

本来は、私達はもともと宇宙の大元から見た場合は、
一つのものであるはずなんですネ。
もし、私達に言葉がなかったら、と言う状況を想像してみてください。
言葉が無い世界を言葉で表現しなければならないので
正確にはお伝えできませんが、

ただ、そこにあるだけ・・・
自然と一体になった自分が存在している、
そんな感覚になるかも知れません。
海をみながらそんなことを思ってみるのも意味がありますよ。

一体、そんなことして何の得になるの???
って言われそうですネ。
経済的には、何にも得にはなりませんよ。
でも・・・
確実に、あなたが優しくなりますよ。。。
普段、他人が気付かないような、とても小さな出来事にも
感動出来る繊細な心の持ち主になることでしょう。
皆様、海を眺めましょう。

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