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2012/01/10

大麻比古神社に初詣2012年1月2日

20120105_008年末年始もズッと仕事をしていたのですが、やはり1年の始まりは大切ですね。それではという訳で1月2日、親戚の家族と一緒に朝、8時に自宅を出発し30、40分ほどで到着。参拝には小銭を賽銭箱

に入れるのが当たり前の光景ですが、賽銭に、長財布から1万円、2万円を取り出してというのはほとんどですが見たことはありません。そういうわたしもお参りには小銭入れから1円玉、10円玉を5~6枚を探し、それに50円玉とか、気分次第で100円が交じるくらいでしょうか。

賽銭箱に投げ入れる金額の低さにも関わらず、その願い事の大きな事。家内安全、無病息災は当然の願いで、それに就職、転職、結婚等々が加わります。お願いされた大麻比古神社の神様は、すべてをお見通しですから、その願いの大きさと比較して、賽銭の少なさにキッと苦笑されているのではないでしょうか?

そういうことで、みんな本心では、お賽銭に付いて神様を信用していないのです。それで、小銭入れの中で、1円や5円、10円玉を探すのでしょう。あわよくば大きな願い事を実現して欲しいということかも知れませんが、あまりケチケチした心ではどんな願い事も神様には届かないと思います。

神様にお願いをするということは、実は、自分自身の心に向き合う行為でもあるからです。神様にお願いをする、これは、自分の心の奥に内在するもう一人の自分、つまり内在神との約束であり決意であるからです。

何かの実現を願い、絶対に実現するぞと言う確固たる願いであるなら、それはそういう態度でお参りすることが必要でしょう。みんながそうしているからというだけで、小銭入れの中を探す態度では、神様は、どんな願いも聞き入れてはくれないのではないでしょうか。

神様にお願いをするということは、とりもなおさず、自分との約束であり、決意であるからなのです。お賽銭の金額の多寡は自分の決意の大きさでもあるのですから、何かを乞い願うのであれば、それがどうしても実現させて欲しい願いであるのなら、お賽銭も長財布からというのが正しいことかも知れませんね。正月早々、反省の大麻行きとなりました。

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