先日、ひさしぶりに徳島市沖の浜にあります、ふれあい健康館で開かれている太極拳講座に行ってきました。
ここの講座は、初心者を対象に指導が行われています。二十四式太極拳は、
(徳島市にある古民家、クリックで拡大)
太極拳の中で、最も入門クラスの講座ですが、太極拳としては、本格的なものですから入門クラスと言ってもなかなかすぐには、覚えることができません。この二十四式太極拳の套路(とうろ、24の型)を覚えるのですが、手足の動作がバラバラで左右対称と言うものがいっさいありません。それでいて、全体としては、きれいにまとまった連続の動作ですから、手の動きを意識すると、足の動きが分からなくなり、足の動きを意識すると手の動きが分からなくなるのです。
そう言うことですから、二十四式太極拳習得のコツは、とにかく入門時代は決して、練習を休まないのが唯一のコツです。私には、英会話がペラペラの友人がいますが、その人いわく、最初の頃、英語がまったく聞き取れなかったと言います。それでも、何度も何度もCNN放送などを聞いていると、あれほど、意味不明であった連続のお経みたいなものが、ある日突然「意味のある一つ一つの単語として理解できるようになった」そうです。
実は、太極拳の習得もこのような経過をたどりますので、基本は繰り返し繰り返し練習することだと思います。
横へ行ったり、前に行ったり、後ろに下がったり、それでいて、手足はバラバラ、最初は、頭の中はパニックになることだと思います。それでも、それがある日突然、まとまった動作として、動くことができるようになるのです。
わたしが、当初、太極拳や練功十八法を始めた理由は、たいへん重度の腰痛持ちで、椎間板ヘルニア、坐骨神経痛、ぎっくり腰、扁桃腺肥大症等々、病気のデパート状態でした。本屋で立ち読みをしても5分も立っていられないほどでした。それが、今では、手術をすることもなくきれいさっぱり治ってしまいました。月のうち、10日くらいは発熱で寝込み、月のうち、10日は腰痛で寝込み、とてもまともに仕事ができる状態ではありませんでした。
そんなひ弱なわたしが、この太極拳や練功十八法のおかげで、健康な体に生まれ変われました。また、この太極拳をはじめとする中国武術を応用した体操等は、単なる体操ではありません。最初の頃は分かりませんが、練習が進んで来るに連れて、気の動きが分かるようになることです。気が合う、気が弱い、元気、邪気等々、およそ気が付いているものすべては、もともと私達が持っている気が関係しているのです。
太極拳ではゆっくり動きますが、単なる体操ではありません。ゆっくりゆっくり確実な動作を行うことが、気を発生させ、強くしていることにつながっているのです。中腰でゆっくり動きますから、ごまかしは利きません。間違った動作は丸わかりです。ゆっくり動いているのに、真似ができません。そんな苦労の先にある成果はものすごく大きいものがあります。体がやわらかくなり、背骨の歪みが矯正され、筋肉が付いてくるとほんとうに気力充実、くよくよしなくなります。この世は、自分の心の奥を映し出した、映し鏡の世界です。生きていると、それぞれが困難な状況に遭遇することがあります。一生のうち、何の障害もなく過ごせるなんてことは絶対にありません。
そんなときでも、太極拳を続けていれば、確実に、身体がやわらかくなります。身体がやわらかくなると、当然、心がやわらかくなるのです。心身一如だからです。だいたい、年齢を重ねて来ると、表情を見るとよく分かります。
頑固でテコでも動かないと言ったような人の表情は、顔を見るだけでイヤ~な雰囲気を持っているでしょう。
眉間にしわをよせ、表情に柔和さがありません。こう言う人は、ほんとうは息苦しいのです。そして生き苦しいのです。
本人は、もっとおおらかに生きたいのです。いろんな本を読み、心の法則も学び、講演も聞きに行き、ああ、そうだこのようにのんびり、ゆっくり生きれば良いのだなと理解しても、それはその時だけで、何の変化もありません。良い話を聞いた、と言う気休めにしかなりません。このように、精神論から入ると、自分の心、深層の想いを変えることはほとんど不可能です。心向きを変えることは、こんなにも難しいことなのです。「三つ子の魂百まで」です。
それとは反対に、身体をやわらかくすることは、時間さえ掛ければ誰にでもできることなのです。太極拳の練習はゆっくり、ゆっくり身体をほぐして、筋肉も柔らかくしますし、股関節も広がってきます。それに伴って、あれほど硬かった頑固な心が、いつの間にかやわらかくなってくるのです。それは、先ほども言いましたように、心と身体は一体であるからです。心身一如なのです。身体がやわらかくなると、心が柔軟になり、何事においても受容的なものの見方ができるようになりますから、楽観性が育ち、取り越し苦労が減り、生きやすくなるのは確実です。
「エエイ、ままよ、明日は明日の風が吹くさ」、あるいは、沖縄の方言にもありますが、「なんくるないさぁ」の心境でしょうか。
私たち、人間は、どんなに偉い人であっても必ず死期がやってきます。短い一生です。そんな短い一生を、不平不満ばかり言って、苦しんで生きるより、何があっても、常に感謝を持って生きることができればこんなに楽で、楽しい人生はありません。現状を憂い、他人を責めてばかりでは、ますます新たな困難が襲ってきます。
それが、この世の「映し鏡の法則」なのです。仏教用語に、「諸法無我」と言う語句があります。意味は、映し鏡の意味とよく似ているのですが、、わたしたちに起こっている、自分の周りに起きる現象には、本来、意味はないのです。事実が、現象が、あるがままなのです。それに意味を付けているのは、即ち、自分自身なのだと言うことに気付くことが大切ですね。
少し、話しが難しくなりましたのでこの辺で止めておきたいと思います。話しが変な方向へ飛躍しましたが、太極拳を練習することには、そんな奥深い意味があったのです。まさに「動く瞑想」なのです。太極拳が一生掛かっても習得できないと言う意味は、こんなところにもあるのでしょうか。私たち、迷い人の心を惹きつけてやみません。
みなさま、心と身体に自覚のある方は、太極拳を始めてみられてはいかがでしょうか?心身が健康になるきっかけになるやも知れませんネ。ちなみにわたしは講師ではありません。ただの練習生です。いつか一緒に練習出来れば幸いです。ではまた。